社会の歯車ですけど、何か問題でも?

社会の歯車なんかで終わりたくない。

たまにそんなフレーズを耳にする。一生こき使われ続けたくない、そんなところやろう。

僕は、みんな社会の歯車やと思っている。それぞれ、長所という凸と短所という凹があって、大きさも形も様々やから、そら噛み合わへんこともある。

自分よりデカい歯車を回すこともあるし、自分よりちっこいヤツに回されることもある。人が1回転する間に10回転するヤツもおれば、じっくり1年かけても半回転しかせんヤツもおる。

どこかで繋がって、何かを動かしてるねんから、そのデカさとか回るスピードに良し悪しはない。今は引きこもって、何も生み出してないように思えても、扇風機で電気を使ながらオニギリでも頬ばろうものなら、すぐに繋がる。

無理して噛み合わへん場所で回り続けたら、せっかくの出っ張りがドンドン削られていくけど、そこにハマる形に磨き直し、スムーズに回るのも1つの在り方やろう。

でも、ほんの少し勇気を出して、見慣れた同系色の集団から抜け出してみる。コロコロ、コロコロ。凸と凹の摩擦を活かして進み、色んな歯車に会いに行く。何気ない小さな出会いが、その後の回転を大きく左右する。

自分では、自分がどんな形をしてるかなんて分からんでもええ。人と同じ回転数にせんでもええ。ただ、色味に惑わされることなく、半回転ずつでもコロコロ転がり、スポッとハマれる場所が見つかった時、めちゃくちゃオモロいからくり時計が動き出す。